疲れてるのに何もしてない気がする、の正体
夜、最後に残っていたチャットに返信して、パソコンを閉じます。落ちる直前の画面に、相手の「助かりました!」が見えていました。椅子の背にもたれて、今日はなにをしたんだっけ、と思い返します。うまく出てこない。忙しかったことだけは、体が覚えているのに。
やったことは、探せば全部残っています。チャットの返信、会議、頼まれた資料の直し。予定表も埋まっている。記録の上では、ちゃんと働いた一日です。それなのに、手応えのほうが見当たらない。
こういう夜が、月に何度かあります。
気になりはじめたのは、昼間の雑談がきっかけでした。同僚に「今日なにしてたんですか」と聞かれて、「いろいろやってました」としか返せなかったんです。隠すような仕事でもないのに、いろいろ、で止まった。相手は笑って、たしか唐揚げ弁当の話に移りましたが、こっちはその夜まで引きずりました。
で、思い出せない日の中身を並べてみると、共通点がありました。どれも、来たものを受けて返した仕事なんです。届いた質問に答える。頼まれた説明資料の、角の立つ言い回しをやわらげて、はみ出した図を枠に収め直す。締め切りが来たから出す。ただ、その日の時間のどこにも、自分から選んで置いたものがない。
逆に、中身を覚えている日もあります。共有フォルダの資料が、日付を頭に付ける人と末尾に付ける人で二つに割れていて、それが気になって、予定になかったのに人の書いた命名の作法を読みあさった日。途中からフォルダの色分けの話に逸れて、気づいたら元の作業に戻り損ねていました。もうひとつは、月末のたびに気が重かった経費のレシート整理を、勢いでAIに任せる手順に組み替えてみた日。日付と金額を一枚ずつ手で写しながら、この作業を自分がやっている理由がよく分からなくなっていました。忙しさでいえば大差ないのに、そういう日は夜になっても言えるんです、今日はこれをやったって。
何もしてない気がする、の「何も」は、作業の量の話ではありませんでした。私にとっては、自分で選んだ時間が、その日ゼロだったという話です。
それに気づいてから、夜にひとつだけ自分に聞くようになりました。今日、自分にしかできないことを、何分やったか。
答えがゼロの日は、いまもあります。聞いたところで、ゼロの日の疲れが軽くなるわけでもない。ただ、正体の分からないままの夜より、名前のついたゼロの夜のほうがいい。
このサイトは、この問いから始まっています。そのあたりのことは自己紹介に書きました。
今日のぶんは、書きはじめた時点でゼロでした。これを書き終えたら、何分かにはなります。